第8話 
生まれてきてくれてほんとうにありがとう
コメンタリー

読者の皆さん こんにちは。
初めての方は初めまして。
アサシーノスの作者のバーボンハイムです。おまけ漫画やあとがきを描こうと思ったんですが、
自分はそんな柄でも無いので、どうせなら映画の特典にある
音声解説風にあとがきらしいことを書こうと思いました。
自分としても初めての試みなので、不愉快に感じる方も居るかもしれませんが温かい目で見ていただけると嬉しいです。
このページを通じて、私がどんな想いでシークエンスを作っているか興味を持っていただけたら幸いです。
それでは始めます。


ディエゴ・ジェジュウス・ソアレスという一人の殺し屋の物語の新章は
映画風のカウントダウンシークエンスによって 幕を開ける。
カウントダウンが終わって次は長い暗転が待っている。映画館で映画を見に行った時、
長い暗転の後に本編がようやくスタートする 先行きの見えない不安感を煽られ、心臓がドクドクと
鼓動を打つ…その気持ちのいいドキドキワクワク感を作りたかった。
アニメという媒体では新房昭之監督が魔法少女まどか☆マギカでこういった試みをしているが、あの試みはまさに大成功だと思う。
あの演出の虜になった私はまどか☆マギカの続きを毎週かじりついて見ていたのだから…w


暗転の後のメッセージに表示されるのはアルフレッド・テニソンの名言だ。
僕は当初、ウィリアム・M・サッカレーの名言
愛してその人を得ることは最上である・・・ 愛してその人を失うことはその次に良い』を使おうと
思っていた。私たち日本人にはジョジョ一部でお馴染みの名言だと思う。
没にした理由は、既に他作品で使用された名言を使うのもオリジナリティが無いと判断したのもあるが、
テニソンの『誰かを愛したことが無いより〜』のフレーズが気に入ったのもある。
7話をご存知の方なら、この名言を見て大体今後の展開の予想がつくだろう…
読者に展開を暗示させるだけではない…私から
我が息子ディエゴ・ジェジュウス・ソアレスへの応援メッセージなのだ。




長い暗転の沈黙の後に唐突に映し出される天井画「聖母被昇天」…その後に映し出される顔は
本作のヒロインのモニカ・ソアレス・ニーマイヤー。7話を見た方なら、顔に違和感を覚える筈だ。
暴行され、腫れ上がった筈の顔が美しく整えられている…
聖母被昇天、教会、そして美しくなったモニカの顔…嫌な予感を覚えたなら、それは正解と言っていいだろう。


棺で安らかに眠るモニカ…ヒロインの死が明示される。
聖母被昇天はモニカの昇天を表す。それと同時に、聖書の朗読が始まる。
聖書の朗読から始まるお葬式のオープニングは
デビッド・フィンチャー監督の
エイリアン3のヒックスとニュートの溶鉱炉でのお葬式のシーンがモチーフだ。
新章の始まりはデビッド・フィンチャーの雰囲気を意識したかった。
宗教色の強い壮大な雰囲気が大好きというのもあるが、
開始早々でいきなり我々を失意のどん底へと突き落とすあの陰鬱で
世の中への嫌悪感とペシミズムに満ち溢れたあの雰囲気は、
アサシーノスの新章の幕開けには無くてはならないものだ。
多少、映画版CASSHERNの影響も受けてるかもしれない。

ルカによる福音書17章だ… 
アサシーノス1章のオープニングでも似たようなシーンがある。
アダムがここに出てくるパリサイ人とほぼ質問をする。すると、ディエゴはここに出てくるイエス・キリストと
ほぼ同じ答えを返すんだ。当時は、ルカによる福音書のことなど知らずに書いていたため、後になってゾッとしたよ。
だからこそ、新章のオープニングにはこの話を盛り込みたかった。自分の中での原点回帰だったのかもしれない。

悲しむ参列者の表情を映した後、ようやく主人公ディエゴが登場する。
痩せこけ、放心状態で、泣き続けて目元が荒れている…
愛する者を失った悲しみを表したかった。ここから読み始めた人からすれば、
なぜここに登場する神父(ディエゴ)の目元が荒れているのか…おそらく分からないだろうが、
理由は後ほど明かされる。言葉ではないが、絵で伝わるよう努力はしたつもりだ。



神の国の話を最終的に、モニカの魂の安息を願う話へと結論付けるディエゴ。
ディエゴの神の国に対する解釈はキリスト教徒の方々から見ると、大いに間違っているのかもしれない。
それは私が仮にも仏教徒であるせいかもしれないが、個人的にはディエゴがモニカの魂の安息を
心から祈っているが故の解釈という風に考えていただきたい。
ディエゴの表情は悲しみに満ち溢れた優しい顔だ… 
死者を見つめる眼差しとは彼らの魂の安息を願う慈愛に満ちたものだと表現したかった。

愛すべき者の安らかな死に顔に枯れた筈の涙を浮かべるディエゴ…
この表情は亡くなった祖母の葬儀の時、
それまで悲しげながらも笑顔で参列者に対応していた祖父が
安らかに眠る祖母を見つめた途端、突然泣き出したのが元になっている。
今回のシーンは、モニカの死という大事なシークエンスだ。
親でもある作者の自分も心を削る想いをすべきだ。それがこのシーンを描くに必要な礼儀であり、ディエゴに対する敬意だ。


先ほど話していたシーンだ。白い帽子を被り、サンドイッチの入った箱をぶら下げて
微笑みかける生前のモニカの姿がフラッシュバックする。この話から見始めた方々にとって
これだけでは彼女がディエゴの義妹だとは分からないだろうが、少なくとも
伴侶とか恋人とか…そういう類の
大切な人であるということはこのシーンだけで分かっていただけるだろう。


彼の言う神の国で永遠に生き続けるモニカの姿…だが、そんな彼女とは
もう二度と触れることも話すことも出来ない。神の国で永遠の命を得たところで、何になるのだろうか…
何千年、何万年もの時を刻み、何万人、何億人もの人々の心を動かした
壮大な筈の宗教ですら、死者を蘇らせることは出来ない…
そんな無力さに打ちひしがれる彼ディエゴの目からは枯れたはずの涙が溢れ続ける…


突如始まるアイキャッチ…エヴァンゲリオンオタクの私にとって、
一度でいいからやってみたかった演出だ。劇場で新劇場版序・破・急を見た時の
興奮を自分なりに消化したかったんだろう…

今回のエピソードは
デビッド・フィンチャー監督、庵野秀明監督の作風に大いに影響を受けたと思う。
彼らに共通して言えることは、作品を娯楽と考えていないところだろう。
彼らにとっての作品は作者の思想を読み取る文学なのだと思う。私もその意見には大いに賛成だ。



 思えば、こんな展開になったのも
祖母のお葬式があった影響が大きいと思う…
小さい頃から母親がわりになって私の面倒を見てくれていた祖母を失い、
悲しみに暮れていた私は…何らかの形で気持ちの整理をつけたかったんだろう。
生命と人生の終わりは突如としてやってくるし、それでも人は生きていかねばならないという
ことを私は伝えたかったのかもしれない…

2014年11月17日

バーボンハイム先生に励ましのお便りを送ろう!!



 
AssassinosのTOPへと戻る 
↓をドラッグしてクリック

AssassinosのTOPに戻る
inserted by FC2 system inserted by FC2 system